てらまっとのアニメ批評ブログ

アニメ批評っぽい文章とその他雑文

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ヴァルター・ベンヤミンと映画の神学(9):初期言語論における自然の沈黙

ベンヤミンが目指す自然と人類との共演は、自然に言語を与えることと言い換えられる。これはどのような事態を指すのだろうか。彼は1916年に書いた「言語一般および人間の言語について」(以下「初期言語論」)のなかで、きわめて神学的・形而上学的な言語論…

ヴァルター・ベンヤミンと映画の神学(8):自然に言語を与える

現代の高度な科学技術を「第二の技術」として社会に内蔵し、自然と人類との調和的な共演を実現すること。これがベンヤミンのいう生産力の自然な利用であり、革命の最終目標とも言うべきものだった。 このように述べるとき、さしあたってベンヤミンの念頭に置…

ヴァルター・ベンヤミンと映画の神学(7):第一の技術と第二の技術

政治の美学化は、戦争において頂点に達する。戦争は生産力の「不自然な」利用であり、これに対してベンヤミンは、生産力の「自然な」利用を目指している。 では、生産力の自然な利用とはどのようなものか。これを理解するうえで重要なのは、ベンヤミンが「複…

ヴァルター・ベンヤミンと映画の神学(6):戦争の美学

ファシズムは大衆にスペクタクルな表現を与え、記念碑的造形のための人間素材として呪縛する。ひとかたまりになった大衆は、階級認識と自己認識を欠いた集団へと変えられてしまう。 ベンヤミンは「複製技術論」のなかで、このような「政治の美学化」の臨界点…

ヴァルター・ベンヤミンと映画の神学(5):大衆をほぐすこと、あるいは芸術の政治化

党大会に動員され、総統の前で「かたまり」となる大衆。ベンヤミンはそのような現象を彫刻的なメタファーでとらえ、「ファシズム的芸術」と呼んだ。それは「人間素材」としての大衆を、「記念碑的造形」へと彫刻することを意味する。 ベンヤミンは「複製技術…

ヴァルター・ベンヤミンと映画の神学(4):ファシズム芸術と大衆の彫刻

政治の美学化は、ナチスの党大会に代表されるような「大衆の表現」によって実現する。ベンヤミンは「複製技術論」の第二稿と同年に発表した「パリ書簡〈1〉――アンドレ・ジッドとその新たな敵」(1936年、以下「パリ書簡」)のなかで、そうした大衆のあり方を…

ヴァルター・ベンヤミンと映画の神学(3):ファシズムと大衆の表現

これまでの繰り返しになるが、ベンヤミンがコミュニズムによる「芸術の政治化」を主張したのは、ファシズムによる「政治の美学化」に対抗するためだった。とすれば、ファシズムの戦略についての彼の分析を参照することで、コミュニズムに期待していたものを…

ヴァルター・ベンヤミンと映画の神学(2):集団的身体における自然との共演

前回述べたとおり、ベンヤミンはファシズムによる「政治の美学化」に対抗するために、コミュニズムによる「芸術の政治化」を主張していた。けれども、彼はその具体的な中身についてほとんど説明していない。ベンヤミンが「芸術の政治化」に直接言及している…