もうひとつの『おにまい』(2):オオサンショウウオと成熟の問題(冒頭)
明治生まれの作家・井伏鱒二の代表作のひとつに「山椒魚」(1929)という短篇がある。国語の教科書にも載っているそうだから、読んだことのある人も多いかもしれない。1匹のオオサンショウウオがある日、巣穴から出ようとしたら出入口に頭がつっかえて、外に出られなくなってしまうという物語だ。
2023年1〜3月に放送されたテレビアニメ『お兄ちゃんはおしまい!』(以下『おにまい』)には、この100年近く前の小説を彷彿とさせるような設定がある。オオサンショウウオが外に出られなくなったのは、まる2年も巣穴に閉じこもっているあいだに身体が成長し、自分の頭が出入口よりも大きくなってしまったからだった。他方で『おにまい』の主人公・緒山まひろも、自室に引きこもってゲームばかりしている「ダメニート」だったが、妹のみはりにTS(性転換)させられたことで、やはり2年ぶりに外出することになる。「山椒魚」とよく似た設定ながら、こちらはなんとか脱出に成功するわけだ。
両作品の符号はそれだけではない。『おにまい』のオープニング映像には、まひろとみはりがオレンジ色をした細長い生き物と出会うシーンがある。2人はこの不思議な生物にまたがって颯爽と飛んでくるのだが、原作者のねことうふによると、どうやらその正体はオオサンショウウオらしいのだ。
日本列島南西部の河川上流域に生息する「オオサンショウウオ(Andrias japonicus)」は、成長すると全長100センチメートルを超える大型の両生類である。日本固有種で絶滅が危惧されており、国の特別天然記念物にも指定されている。広島出身の井伏は中学時代、学校の池で飼われていたオオサンショウウオに惹かれ、こっそりカエルなどを食べさせていたという。「山椒魚」にはこのときの観察が生かされている。
ねことうふもまた、デフォルメされたオオサンショウウオのキャラクターを著者近影やSNSのアイコンに用いており、みはりのお気に入りのぬいぐるみとして原作漫画にも登場させている。作中では定番のファンシーキャラクターとして親しまれているようだが、原作での扱いはそれほど大きくはないし、オオサンショウウオと明記されているわけでもない。それがアニメでは一転、オープニングで大々的に取り上げられ、さらにはグッズ化されてクレーンゲームの景品にもなるなど、『おにまい』を象徴するマスコットキャラクターとして位置づけられていく。
ところが、よく見るとアニメのオープニングに登場するオオサンショウウオは、原作漫画に出てくるものとは微妙にデザインが異なっている。そもそも体色が違うだけではなく、アニメのほうには漫画版にはない「外鰓(エラ)」らしきものまで付いているのだ。ねことうふをはじめ関係者は何も語っていないが、これはどう見てもオオサンショウウオではなく「ウーパールーパー」、つまりは白変種(アルビノ)の「メキシコサンショウウオ(Ambystoma mexicanum)」だろう。本編ではのちに原作と同じタイプのぬいぐるみが出てくることからも、オープニングのサンショウウオは別種である可能性が高い。
『おにまい』のアニメ化にあたって、なぜわざわざオオサンショウウオに焦点が当てられ、しかもメキシコサンショウウオを思わせるデザインが採用されたのだろうか。おそらくそこには「成熟」をめぐる問題系が深く関わっている。
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上記は、低志会の会報第2号『ぬいぐるみの代わりに低志会の本を抱いて媚びを売る、つまりそれが祈り vol. 2(仮)』(2023)所収の「お兄ちゃんはおしまい!」論の冒頭部です。当ブログ記事「もうひとつの『おにまい』」の続編にあたるもので、本論が収録された会報は2023年11月11日(土)開催の文学フリマ東京37、低志会&週末批評ブースで頒布されます。
なお、既刊の会報第1号には「もうひとつの『おにまい』解題」が収録されています。関心のある方はこちらもぜひ。
追記:BOOTHで通販を開始しました。
文学フリマ東京37
日時:2023年11月11日(土)12:00〜17:00
場所:東京流通センター 第二展示場 2階Fホール
ブース:低志会&週末批評(そ−51〜52)
会報の内容紹介はこちら
https://x.com/teramat/status/1718593740561166378?s=20
ほかに、いくつかの評論系同人誌に寄稿しました。いずれも8,000〜10,000字程度です。関心のある方はあわせてどうぞ。
『ビンダー vol. 8 特集:宮崎駿』(た−14)
宮﨑監督に「君たちはどう生きるか」と言われたので「わたしはこう生きてきたぞ」みたいな超個人的エッセイ。どうしてこうなったのかわかります。誰も興味ないかもしれませんが……。
https://x.com/cucuruss_label/status/1720742057013362811?s=20
『映画大好きポンポさんトリビュート』(た−17)
「映画の死体をアニメートする──『ポンポさん』とシネクロフィリア」
初期映画研究とマノヴィッチを参照しながら、映画がアニメのサブジャンルになってしまった皮肉な現状を描いた作品として『ポンポさん』を読む、みたいな論考です。以前に当ブログに書いたものを増補改稿しました。
https://x.com/pessimstkohan/status/1713854401360838811?s=20
『ブラインド Vol. 1 特集:リコリス・リコイル&まちカドまぞく』(そ−58)
「インディーアニメ批評座談会」
2010年代のアニメ批評同人界隈を振り返りつつ、当時の盛り上がりの背景やゼロ年代批評との距離感、今後の展望や課題などを語り合う座談会のすみっコに参加しました。
「10年目の追伸──ポスト日常系からみる『リコリス・リコイル』」
10年近く前に書いた「ポスト日常系」についての議論をたどりながら、『リコリス・リコイル』をその直系に位置づける感じのエッセイです。
https://x.com/blin_d_s/status/1717843761794015263?s=20
以上です。文学フリマ当日は低志会&週末批評ブースにいる予定です。参加される方はよろしくお願いします。