てらまっとのアニメ批評ブログ

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台湾花見に寄せて:『姫様“拷問”の時間です』と消費社会のゆめうつつ


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 今週末、台湾へ行くことになった。目的は「花見」である。台湾には日本統治時代に持ち込まれた吉野桜ソメイヨシノに加え、台湾在来種の山桜や寒桜、さらにそれらを掛け合わせた品種など、さまざまな種類の桜が植えられているらしい。今日でも日台友好のシンボルとしてことあるごとに日本から桜が贈られている。亜熱帯の台湾では開花も早く、種類によっては1月下旬から咲き始め、2月中には見頃になるそうだから、3月では少し遅いかもしれない。

 なぜ花見なのか。わたしはもう10年以上前から、当時のTwitter(現X)で出会った友人たちと「週末思想研究会(週末研)」というサークル活動を続けている。このサークルの最初の活動が、東日本大震災の翌年に開催した《花見2.0~モバイル桜の名所》というイベントだった。これは「桜のない場所で花見をする」という企画で、ホームセンターで購入した桜の苗木を手押しカートに載せ、再開発前の下北沢駅前や渋谷センター街秋葉原公園など都内各所を移動しながら「花見」を行った。背景には福島第一原発の事故にともなう避難指示や、当時の東京都知事石原慎太郎による「自粛」要請などがある。映画作家の佐々木友輔氏と作曲家の田中文久氏のご厚意で、冒頭の素晴らしいMVまで作ってもらった。2日間にわたる花見の様子は以下のTogetterにまとめられているので、関心のある方は読んでみてほしい。

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 以来、週末研では毎年趣向を凝らした花見を開催している。《福島花見》《韓国花見》《東京ダークピンク・ツーリズム》《首都圏花見収束作業》《夕張花見》《皇居花見(ない)》《沖縄花見》《オキュパイ花見》《防護服花見》……。一昨年は《花見2.0》10周年を記念し、やはりカートに桜を積んで東京駅を出発すると厳戒態勢のロシア大使館前を通過、その足でウクライナ大使館まで赴いて献花するという《花見2.022~モバイル桜の名所》を実施した。また昨年は《それでも桜を見る会》と称し、京都アニメーション放火殺傷事件や安倍元首相銃撃事件の犯人の足取りをたどりながら、第一スタジオ跡地に設置された花壇にジョウロで水をやり、敷地内に植えられた桜をゲート越しに眺め、銃撃現場では手向けられた花束が撤去されるのを目撃した。そして今年は、台湾へ行く。

 なぜ台湾なのか。週末研ではいつも思いつきが先行し、あとから理由や動機を考える。今回も例外ではないのだが、10年前と比べて仕事や家事、育児でみな忙しくなり、コンセプトを練るための時間がほとんど取れなくなってしまった*1。そこで以下では《台湾花見》について、現時点でわたしが考えていることをざっと記しておきたい。


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 2024年1月から『姫様“拷問”の時間です』というテレビアニメが放送されている。原作は集英社の「少年ジャンプ+」で配信されている同名漫画で、制作は2022年に『Do It Yourself!!』で話題をさらったPINE JAM。人類に敵対する魔王軍にとらわれた勇猛果敢な姫様が、魔族の「拷問」に耐えかねて王国の秘密を話してしまうというストーリーだ。

 ただしここでいう「拷問」とは、たとえば中世ヨーロッパで行われていたような血なまぐさいものではない。そうではなく、焼き立てのトーストとか、こってりしたラーメンとか、コアラのマーチとか、ふわふわの小動物とか、露天風呂とか、大乱闘スマッシュブラザーズとか、要するに現代の日本社会にあふれる多種多様な「気晴らし(divertissment)」である。幼少期から娯楽を制限されてきた姫様は誘惑に抗えず、お菓子やゲームと引き換えに、自国の安全保障に関する情報をしゃべりまくってしまう。独居房という舞台設定は、プラトンの「洞窟の比喩」を意識しているのかもしれない。

 一見してわかるとおり、魔王軍とはわたしたちの生きる爛熟した消費社会そのものだ。そしてこの作品が描いているのは、資本主義の気晴らしがもたらす束の間の快楽によって、国家や民族への忠誠心を「脇にそらす(se divertir)」ことができる、偏狭なイデオロギーナショナリズムを解除することができるという信仰だろう。さらにいえば、気晴らしには当然ながら漫画やアニメも含まれるわけで、まさに『姫様“拷問”の時間です』という作品それ自体が、娯楽としての消費財を通じて消費社会を肯定する、すぐれて自己言及的な構造を持っていることがわかる。政治のことなんて考えなくていい、なぜなら漫画を読みアニメを見ることが、じつはひとつの政治なのだから……。

 この信仰はどこからやってきたのだろうか。言うまでもなく先の敗戦から、つまりはわたしたちが自由民主主義に「転向」してからである。熱々のたこ焼きにつられて機密情報を暴露する姫様は、冬の低志会でnoirse氏が指摘していたように、進駐軍に「ギブミーチョコレート」と叫んでチョコを恵んでもらった子供たちの末裔だ。彼女を「拷問」する人間味あふれる魔族たちはさしずめ、戦時中の「鬼畜米英」の遠い親戚といったところだろう。

姫様“拷問”の時間です』3話感想・・・姫様、ブサイクおっさんは無理だったwww おっぱい揉みシーンなぜ改変したのか・・ | やらおん!

 太平洋戦争に敗れた日本は連合国の統治下に入り、主権を回復してからは米国の同盟国として経済発展を謳歌する。一足先に高度消費社会へと突入した日本に続き、かつて日本の植民地だった韓国や台湾も、民主化と経済成長を経て成熟した消費文化をかたちづくっていく。韓国、台湾の一人当たり名目GDP国内総生産は日本に迫り、2030年代初頭には逆転するとみられている。米兵の一粒のチョコレートから始まった「拷問」は、いまや東アジアのいたるところで、わたしたち自身が拷問官となって日夜みずからに行使されている。

 そう考えると『姫様“拷問”の時間です』という作品が、たんに日本のみならず、米国の影響下にある東アジア全体の国際秩序と結びついているようにも思えてくる。実際に韓国では、1987年に発生した大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫を尋問するにあたり、豪華なちらし寿司が振る舞われたという*2。ソウル最大の繁華街・明洞(ミョンドン)に連れ出された彼女は、資本主義の大聖堂とも言うべき百貨店に案内され「一般人が金正日のような生活をしている」ことに衝撃を受ける。1960~90年代に「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長と民主化を成し遂げた韓国は、深刻な経済不振にあえいでいた北朝鮮工作員から見ると、まさに「夢の国」だった。消費社会の豊かさをまざまざと見せつけられ、彼女はほどなく自供する。

姫様“拷問”の時間です|ジャンプ+メディア情報局

 同じことは台湾にも言えるだろうか。海峡を挟んで南北朝鮮のような経済格差があるわけではないし、両岸の経済的な結びつきもはるかに強い。それでも政治的な自由に関しては隔絶した差があり、2022年発表の「世界の自由度」ランキングでは日本が96ポイントで11位(アジアでは1位)、台湾が94ポイントで18位(同2位)につけているのに対し、共産党独裁の中国はわずか9ポイントの182位*3。米国のNGOによる調査だから当然といえば当然だが、ロシアよりも低く、シリアや北朝鮮よりはいくらかマシというレベルだ。

 中国の習近平国家主席は2019年1月、台湾に対し「一国二制度」による平和的な統一を呼びかけている*4。ところがその3カ月後、まさに一国二制度の香港で中国当局の取り締まり強化に反対する抗議活動が起こり、6月には100万人を動員する大規模なデモへと発展する。「光復香港、時代革命」を掲げる若者たちに台湾市民の多くが共感を示すとともに、力づくでデモを抑え込もうとする中国当局への反発を強め、香港への連帯をアピールする集会が台湾各地で開かれた。前年11月の統一地方選挙で大敗を喫していた民進党蔡英文政権は、一国二制度を拒絶し自由民主主義の防衛を訴えて一挙に支持率を回復。「今日の香港、明日の台湾」を合言葉に、翌2020年1月の総統選挙で再選を果たす。

 「少年ジャンプ+」で『姫様“拷問”の時間です』の連載がスタートしたのは、発端となった香港での抗議活動の発生から2日後のことだった。作中では人類も魔王軍も見たところ王政で、政治体制の違いが焦点化されているわけではない。牢につながれながら消費社会の果実を貪る姫様は、代わりにみずからの政治的な自由を差し出しているようにも見える。香港の若者たちとは違って、経済的な繁栄が維持されるなら、人類でも魔族でも、一国二制度でも、別になんだって構わないのかもしれない。マリネッティをもじって言えば「気晴らしは行われよ、たとえ祖国が滅びようとも」といったところだが、こうした奇妙なラディカルさが、この作品にたんなる平和ボケにとどまらない、ある種のブラック・ユーモアを漂わせている。

 2024年1月に行われた台湾総統選では、蔡英文の後継者である与党・民進党の頼清徳副総統が次期総統に選出されている。独立志向の民進党が3期続けて政権を担うのは初めてのことだが、同日投開票の立法院(国会)選挙では過半数議席を確保できなかった。世論調査では独立でも統一でもない「現状維持」が多数を占めており、総統府と立法院の「ねじれ」は台湾の民意を反映したものと解釈されている。完全な独立も完全な統一も志向しない曖昧な状態(モラトリアム)を維持すること、破局を絶えず「脇にそらす」こと……。

 ちょうど同じころ、テレビ放送が始まったアニメ『姫様“拷問”の時間です』のオープニングには、満開の桜の下で花見をする姫様と魔族たちの姿が映し出されていた。「現状維持」に託される消費社会の夢とはこのようなものだろうかと、今年も荷造りをしながら考えている。

 

 

*1:わたし自身も労働に追われてリサーチやブレストどころではなく、同行する週末研創設メンバーのワクテカ氏に旅程作成をほぼ丸投げしてしまい、大変申し訳なく思っている。

*2:竹内明「大量殺人を実行した北朝鮮『女性工作員』はなぜ自白をしたのか」、現代ビジネス、2017年11月19日。

*3:世界の自由度 国別ランキング・推移」、Global Note、2023年3月14日。

*4:ただし、外国勢力の干渉と台湾独立勢力の活動に対しては「武力行使の放棄を約束しない」とも明確に述べている。