てらまっとのアニメ批評ブログ

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そうだ、アキバに行こう——『日本の若者は不幸じゃない』

秋葉原歩行者天国が再開された。あの痛ましい事件から2年が過ぎ、秋葉原も少なからず変化を続けている。そのあいだに新卒就職率は最低を記録し、政治は迷走するのが基本になり、今年の花粉の量は10倍になるという。かつてなく不幸な時代——誰もがそう考えているにちがいない。
さて先日刊行された一冊の新書を手に取ってみよう。その表紙には大きくこう書かれている——『日本の若者は不幸じゃない』。
日本の若者。この言葉で僕たちは誰を思い浮かべるだろうか?容姿端麗な芸能人?それとも才能あふれるスポーツ選手?
きっとどちらでもないはずだ。僕たちは現代の「日本の若者」が、徹底的にネガティブなイメージに彩られていることを知っている。曰く引きこもりがちで、ナイーブで、パソコンに向かって悪態をついているだけの、夢もお金もないみじめな人たち。たとえばそう、僕自身のことだ。秋葉原であの凄惨な事件を引き起こした若者も、あるいは似たような自己イメージを抱いていたかもしれない。
おそらくこの本は、ついそんなふうに考えてしまう人たちのために書かれている。つまり自分のことを不幸だと思ってしまうような——右手に特殊能力があるかどうかは別にして——いじけた若者と、そんな若者に幻滅しているもっと上の世代の人たちのために。日本の若者は不幸じゃない。信じられないという人は、早速ページをめくってみよう。
同書は大きく二つの部分に分かれている。前半を株式会社モエ・ジャパン代表取締役、「もふくちゃん」こと福嶋麻衣子さんが、後半をブロガー&ライターのいしたにまさき氏が担当している。二人の著者の年齢は、ちょうど若者とそのひとつ上の世代に当てはまる。もふくちゃんは情熱的に自分の体験談を、いしたに氏は説得的に日本各地の事例を紹介し、主観的にも客観的にも、本のタイトルがまちがっていないことを教えてくれる。内容をかいつまんで説明しよう。
前半はこう言ってよければ、もふくちゃん大活躍の伝記譚だ。秋葉原という舞台で、彼女がいかにエネルギッシュに走り回り、さまざまな人と出会い、会社を立ち上げ、ファンとスタッフが一体になって楽しむディアステージという「学園祭」——これはまさに正鵠を射た言葉だ、僕は「放課後ティータイム」のライブシーンを連想した——を成功に導いたか。秋葉原という街の魅力、そしてそこに集うオタクな人々の熱い思いが、ページのいたるところに充満している。僕たちは、私たちは不幸なんかじゃない、だってこんなにも楽しくやっているのだから!
そうだ、秋葉原に行こう——もふくちゃんの主張は熱く、そして明快だ。けれども秋葉原に行けない人はどうすればいいのだろう?地方に住んでいる多くの若者たちは、取り残されてしまうのではないか?——そうではない、といしたに氏は力強く断言する。それどころか、いまや日本全国が潜在的秋葉原、いわば普通名詞としての「アキバ」であり、したがって「学園祭」の舞台なのだ。これはどういうことだろうか?
いしたに氏が注目するのは、アニメやゲームといったアキバ系コンテンツが、実際に何万人もの人々を動員し、地域コミュニティをにわかに活性化しているという事実だ。日本全国から集まった敬虔な巡礼者たちは、取り壊しも危ぶまれた小学校を聖地に変え、あるいはさびれた温泉街に希望を与えた。
お台場ガンダム」「初音ミク」「ラブプラス」「らき☆すた」「サマーウォーズ」「けいおん!」——優れたコンテンツがきっかけとなって、ファンと地域コミュニティが互いに協力し合い、一緒になって「学園祭」を盛り上げていくこと。いしたに氏によれば、それは若者が自ら居場所を作り出すことであり、世代や価値観のズレを乗り越えることであり、そして「地方は不幸じゃない」と言えるようになるための、もっとも有力な選択肢のひとつなのだ。
秋葉原で燃え上がった——あるいは萌え上がった——オタクの情熱は、ツイッターをはじめとするソーシャル・ネットワーキングサービスによって媒介され、日本各地に飛び火していく。その火種を大きく育てることができるのか、それとも冷や水を浴びせるのか——ひとつ言えることは、孤独に酔って傍観者をきめこむよりも、思い切って「学園祭」に参加してみるほうが、ずっと得るものが大きいということだ。そのために必要なもの、それはただ、自分の好きなものを好きと言えるだけのちょっとした勇気と、同好のクラスターを見つけるためのネット環境くらいのものだろう。
書を捨てて町に出る必要はない。携帯をもって、あるいはノートパソコンを抱えて、あなたの町のアキバに行こう。それだけで人は変わることができる。僕たちはいま、そういう時代に生きている——日本の若者は不幸じゃない。