
子どもがゲームとつきあうスキルを獲得するうえで、最も大切なことの一つが「おしまい」の練習である。
──吉川徹「発達障害とゲームの関係性──ゲームが好きな子どもの世界に近づくために」、『そだちの科学』2023年4月号、8頁
『お兄ちゃんはおしまい!』(以下『おにまい』)のアニメ化企画が動き始めた2020年初頭、香川県議会にとある条例案が提出された。同県内の未成年者とその保護者を対象とする「ネット・ゲーム依存症対策条例案」だ。そこには子どもたちを「ネット・ゲーム依存」から守るという名目で、家庭でのコンピュータ・ゲームやスマートフォンの使用時間を制限する内容(努力義務)が含まれていた。
この条例案がマスメディアで取り上げられると、医療関係者や研究者、ゲーム業界などからは異論が噴出する。同案はパブリックコメントの不透明さもあいまって〝炎上〟したものの、結局は提出から2カ月ほどで可決・成立した。
ネット・ゲーム依存症対策条例の制定に深く関わっていたのが、大阪にクリニックを構える作家・精神科医の岡田尊司だ。
香川出身の岡田は、2019年10月に開かれた「香川県議会ネット・ゲーム依存症対策に関する条例検討委員会」の第2回検討会に参考人として招かれ、条例に盛り込むべき内容を提示している。岡田は2014年に『インターネット・ゲーム依存症──ネトゲからスマホまで』と題した著書を出しており、行政によるゲーム規制や依存対策の必要性を訴えてきた人物として知られる。
岡田はパソコンやスマートフォンのゲームを「現代の阿片」「デジタル・ヘロイン」と呼び、その依存性の高さに警鐘を鳴らしてきた。彼に言わせると、ネット・ゲーム依存は覚醒剤などの薬物依存と同様、脳機能に深刻なダメージを与え、注意力や記憶力の著しい低下、うつ状態、発達障害の症状などを誘発するという。『インターネット・ゲーム依存症』には、オンラインゲームに「没頭する=とらわれる(preoccupied)」あまり、学業や仕事、人間関係などがおろそかになり、心身に変調をきたして家庭崩壊や自殺にまでいたるケースがいくつも紹介されている。
岡田が取り上げる事例のうち、わたしの目を引いたのはある男子大学生のケースだった。中学時代から不登校気味だった晃さん(仮名)は、通信制高校を卒業して大学に進学するものの、ゲームにハマって大学を休みがちになる。カウンセリングの結果、彼には「自分が誰からも認められない無価値な存在だという強い自己否定」があり、これが社会適応を困難にするとともに、ゲームへの依存を引き起こしていたという。
岡田はこの大学生の自己否定の背景を次のように説明している。
彼には妹がいたが、その妹は成績優秀なうえに、音楽の分野で特別な才能を示し、母親は妹のことに夢中になって、晃さんにはまったく関心を向けてこなかったのだ。しかも、妹も兄のことを見下して、否定的な言葉を投げつけてくる。そもそも不登校が始まったきっかけも、そんな妹の態度に業を煮やした晃さんが、妹に手を上げてしまったことで、母親が激怒したことからだった。晃さんはずっと「ダメな兄」でしかなかったのだ。そうした家庭におけるやり場のなさからの逃げ場所が、ゲームだった。
晃さんの社会不適応の原因は、家庭内で優秀な妹とつねに比べられること、つまりは「ダメな兄」という否定的な自己評価だった。オンラインゲームはそんな彼に「逃げ場所」を与え、結果的に依存状態をつくり出していたというわけだ。
一見してわかる通り、この大学生のケースは『おにまい』の設定ときわめてよく似ている。条例制定の3年後、2023年初頭にアニメ化された本作もまた、成績優秀でスポーツ万能の妹に対する劣等感をこじらせ、自室に引きこもってゲームばかりしている「ダメな兄」が主人公だった。『おにまい』はそんな兄を見かねた妹が、ひそかに開発中の薬を盛ってTS(性転換)させ、女子中学生として社会復帰させていく物語だ。
……
上記の文章は、低志会の会報第4号『バファリンの代わりに低志会の本を煎じて食後に飲む、つまりそれが祈り vol. 4(仮)』(本文40頁、600円)所収の論考「もうひとつの『おにまい』(3)ゲームという逆説」の冒頭部です。
当ブログ掲載の「もうひとつの『おにまい』」シリーズの第3回にあたるもので、本論が収録された会報は2025年5月11日(日)開催の「文学フリマ東京40」低志会ブース(O-11・12)で頒布されます。
なお、既刊の会報第1号には「もうひとつの『おにまい』解題」、第2号には「もうひとつの『おにまい』(2)オオサンショウウオと成熟の問題」が収録されています。関心のある方はこちらも合わせてぜひ。
- 日時:2025年5月11日(日)
- 場所:東京ビッグサイト 南1・2ホール
- 配置:低志会 O-11・12
以下、新刊の会報第4号の内容紹介です。


低志志の会報第4号では「特集=健康」と題し、健康や病気をサブカルチャーと絡めて綴った会員のエッセイを収録しました。今回も非常におしゃれで不健康そうな表紙はオガワデザインさん、そしてサイケデリックなジョッキの写真は安原まひろさんによるものです。エッセイの内容を簡単に紹介します。
オガワデザイン「塩なしおむすび」
今から40年ほど前、原因不明の大量出血で入院したオガワ少年が、小児病棟で手渡された1個の「おむすび」。小さな逸脱、小さな自由が逆説的に人を活かす、生への洞察に満ちたエッセイ。
noirse「夏、熱海の旅」
2024年のある夏の日、noirseに率いられた中年男性の一行が、炎天下の熱海・伊豆山登攀に挑んでいた。目的はひとつ、近所に住むというあの有名アニメ監督を見つけ出すこと。その結末やいかに──。
安原まひろ「酒と健康 ─悠然としてアニメの女の子を見る─」
若い世代を中心に飲酒の習慣がなくなりつつある昨今。健康志向に見えて、実は社会の「圧」をかいくぐる手段が失われているのではないか。生き抜くための智慧は、遥か1600年前の中国にあった。
てらまっと「もうひとつの『おにまい』(3)ゲームという逆説」
アニメ『お兄ちゃんはおしまい!』を、現実で救われなかった別の「お兄ちゃん」と重ねて読む「もうひとつの『おにまい』」第3回。今回は同作を一種の「ゲーム実況動画」として捉え返す。
ほかにも「低志会用語集」や「オフライン低志会」活動アルバムなど、薄い冊子にいろいろな情報を盛り込みました。ささっと読めて面白い、コスパも最高の低志会会報第4号をよろしくお願いします。
なお、当日は低志会ブース(O-11・12)で『誰でも書ける⁉️ 批評っぽい文章の書き方』(てらまっと著、週末批評、500円)第3版も頒布予定です。関心のある方はぜひ。

追記(2025/5/15)
BOOTHで通販を開始しました。