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『竜とそばかすの姫』はクソデカ感情百合バトルアニメになるはずだった

 2021年7月に公開された細田守監督の最新作『竜とそばかすの姫』を見てきた。わたしの観測範囲ではいつもどおり賛否が割れていて、個人的にはけっこう期待していたのだが、見終わったあとの感想は「うーん……?」という感じだった。

 細田監督が何を描きたかったのかはよくわかる。過酷な現実に耐えられず心を閉ざしてしまった少女が、SNSでの出会いを通じて成長していくというテーマ自体にも、とくに異論はない(その「成長」の方向性にはいろいろ議論があると思うけれど)。にもかかわらず、わたしが物語にうまく入り込めなかったのは、途中から本編とは全然ちがう物語の可能性にとりつかれてしまったからだ。

 なお、以下では重大なネタバレが含まれるので、未見の方は注意してほしい。

 

 『竜とそばかすの姫』は、幼少期に母親を失い、心に深い傷を負った女子高生「すず」が、仮想空間「U」で絶大な支持を集める歌姫「ベル」となり、世界中から追われる謎の存在「竜」を救うために仲間たちと奮闘する物語だ。SNSという現代的なモチーフはあるものの、基本設定としてはほとんど『美女と野獣』(1991)そのままである。

 とはいえ、そこには細田監督らしい重要なアレンジが施されている。『竜とそばかすの姫』の物語構造をごく単純化して取り出すと、主人公のすずが〈母=ヒーロー〉になるまでのプロセスを描いた作品として読むことができる。彼女の母親は、中洲に取り残された見ず知らずの幼い少女を救うために増水した川に飛び込み、命を落とす。すずは自分を残して死んでしまった母親の行動が理解できず、父親や幼なじみともうまく話せなくなり、大好きだった歌も歌えなくなってしまう。物語終盤ではそんな彼女が、やはり見ず知らずの他人である竜(のなかの人)のもとに駆けつけ、身を挺して彼を守ろうとする。つまり、すずは母親の行動を反復することで母親の死を受け入れ、精神的に乗り越えるとともに、自ら〈母=ヒーロー〉になるわけだ。これが『竜とそばかすの姫』の基本的な構造である。

 もちろん、ある意味で保守的なこうした母親像や家族観に対し、拒否反応を示す観客もいるだろう。近年の細田監督作品はだいたい賛否両論真っ二つで、ネットでは「脚本だけ他人に書かせろ」という意見もよく見かけるが、そういう意味では『竜とそばかすの姫』も例外ではないかもしれない。けれども、わたしが「うーん……?」となってしまったのは、本作の〈母=ヒーロー〉というやや問題含みのメッセージが受け入れられなかったからではない(多少の疑問はあるが、ここでは論じない)。そうではなく、冒頭でも述べたように、本編とは異なるもうひとつの物語の可能性にとりつかれてしまったからだ。

 『竜とそばかすの姫』後半では、謎に包まれた竜の正体を突き止めることが物語の主題となる。わたしは物語のかなり早い段階で、竜の正体はこいつにちがいないと勝手に確信していたキャラクターがいる。すずの回想に登場する、彼女の母親が自らの命と引き換えに救った少女だ。わたしは十中八九、この少女が竜の正体だと考えていた。なぜなら、彼女こそがすずの人生を根底からひっくり返し、その運命を決定づけた張本人だからである。本編では描写されないが、すずがこの少女を強く憎んでいたとしてもおかしくない。さらに「50億人の中から、たった一人を探し出せ」という本作のキャッチコピーも、わたしの確信を後押しした。50億人のなかから探すに値する運命の人物、因縁の相手は、あの少女以外にありえない、と。

 だから、竜の正体が本当に主人公とまったく関係ない赤の他人、遠く離れた東京に住む虐待被害者の少年だと判明したときは、正直びっくりしてしまった。もちろん、すでに述べたとおり、すずは見ず知らずの他人を救うことで初めて母親の死を受け入れ、自らも〈母=ヒーロー〉になるわけだから、物語構造としては文句なく正しい。けれども、わたしが勝手に思い描いていたのは、これとはまったく異なる物語だった。

 以下はすべてわたしの妄想である。だいぶ気持ち悪いことに、クライマックスのセリフまで考えてある。物語の基本路線はいちおう踏襲したつもりだが、家族や親子の関係にフォーカスしてきた細田監督は、たぶんこういう話は決して書かないだろう。百合(およびBL)とはまさに、家族や親子といった枠組みをいわば水平方向に破っていく、正反対のモチーフだからである。百合の先に、細田監督が思い描くような再生産をベースとした家族は存在しえない。

 本作を見ながらそんな妄想ばかりしていたせいか、とくに終盤は本編の内容がうまく頭に入ってこず、結果として「うーん……?」みたいな感想になってしまった。それでもわたしは、この妄想が『竜とそばかすの姫』という作品にあらかじめ畳み込まれている──とまでは言わないけれど、抑圧されたもうひとつの可能性として、まるで幽霊のように作品にとりついているような気がしてしまうのだ。

 

 少女は小さい頃、増水した川の中洲に取り残され、見知らぬ勇敢な女性に助けられた。お礼を言うひまもなかった。女性は幼い少女に自分のライフジャケットを着せると、そのまま流されて見えなくなった。成長してからずっと、少女はそのことで思い悩んでいた。自分が他人の人生を永久に奪ってしまったこと、そしておそらく、その人の家族の運命さえもねじ曲げてしまったこと。少女は自分を責め続けていた。自分には生きる価値がないと思い込んでいた。ままならない現実に絶望し、やがて精神に変調をきたし、醜い竜の姿で自傷行為のように仮想空間で暴れまわるようになった。

 そんなとき、彗星のごとく現れたひとりの歌姫と出会う。明るく澄んだ彼女の歌声には、しかしどこか深い悲しみと寂しさがにじんでおり、少女はすぐに彼女のファンになる。まるで自分の苦しみを代わりに歌ってくれているような、そんな気がした。2人はしだいに絆を深め、追手をかいくぐりながら束の間の逢瀬を重ねる。ところが、ひょんなことから歌姫の正体が露見し、彼女が自分を救ってくれた=自分が死なせてしまった女性の娘であること、そしてそのせいでずっと苦しんでいたことを知る。少女は絶望し、歌姫=すずの前から姿を消す。もはや現実にも、仮想空間にも居場所がないと悟った少女は、ただ愛する彼女に罰してもらうこと、殺し/赦してもらうことだけを望むようになる。

 やがて再び現れた竜は、仮想空間のすべてを敵に回し、すずの友人や家族、その他大勢のアカウントを人質にとる。すずは彼らを救うことで〈母=ヒーロー〉として覚醒し、さまざまな人々の協力のもと、謎のスーパー歌パワーで邪悪な竜を追い詰める。激突する2人。すずは裏切られた怒りと悲しみに震え、戦いのさなかに理由を問いただそうとするも、竜は何も答えようとしない。仮想空間が崩壊しかねないほどの激しい戦闘の末、50億アカウントによるスーパー歌の元気玉(『サマーウォーズ』(2009)のラストみたいな感じ)が炸裂し、ついに竜は打ち倒される。

 いまにも息絶えようとする竜の剥がれたウロコの隙間から、同世代くらいの少女の素顔がのぞいている。思わず駆け寄ったすずは、彼女の口からようやく真意を告げられる。

「わたし、すずの歌が、すずのことが大好き」

「でもわたしは、すずからお母さんをとっちゃった、悪者だから」

「だから一緒にいられないし、赦してももらえない」

「だけど、いっぱい考えて、悪者にもできることがあるって、気づいた」

「すずがヒーローになるための、お手伝い」

「本物のヒーローになって、それでわたしをやっつけてほしいって、そう思ったんだ」

「わがままだよね……でもわたし、やっと」

 泣きそうな笑顔で、淡い光のなかに溶けていく少女。呆然とするすず。ややあって、ベランダから飛び降りる音。

(暗転、スタッフロール)

 病室のカーテンが揺れている。寝台に横たわっていた少女が、ゆっくりと目を開ける。誰かが手を握っている感触。セーラー服を着た、そばかすの、よく知っている顔──。

(終劇)

 


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